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- エリアマーチャンダイザー
- F. O.2002年入社
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- 時計・ブランド品部門
売場責任者
- T. A.1996年入社
個を磨き、強くなる。君はいま、ハングリーか?
先輩紹介
遅咲きのロッカーと、ビックマウス。二つの才能がドン・キホーテで目覚める
T. A.:大学を卒業してからは、ブランド品を扱う会社に就職しました。 ただ、ずっと夢見ていたバンドでのデビューも諦めきれず、 バンド中心の生活を送っていました。 レコード会社との契約まで漕ぎつけたんですが、CDが出せなくて、お金もなくなる一方でした。子供もいたので、そろそろ方向転換しないといけないと思い、 がむしゃらになって働ける場所を探していました。そんなとき、普段から通っていた杉並店にアルバイトとして入ることにしました。 ドンキの雰囲気が好きで、何となくピンときたんですよ。
F. O.:私は、2001年の新卒入社。
もともと、簿記を勉強したりする学校に通っていたのですが、机の上の仕事より、人と接することの方が好きで、アパレル企業を志望していました。 ドンキには、食料品や日用品のイメージしかなかったのですが、 ホームページを見たら衣料品も扱っていることを知って興味を持ちました。しかも、他社と違って「実力主義」とか「権限委譲」という言葉を全面に出していました。 その時は言葉の意味をよく理解してなくて、 当時流行っていた総合格闘技みたいに、 相手に勝てば上に上がれるのが面白い!と思って入社しました。
T. A.:転機は、入社3年目ですね。
第二子の誕生を期に「社員になりたい」と上長に相談しました。 そうしたらあっさり受け入れられて、いきなり杉並店の時計・ブランド品の売場責任者になりました。
F. O.:私は、入社当初、今でも忘れられない出来事があります。入社一ヶ月でパウ川崎店のオープニングメンバーに選ばれて、 一旗揚げようと意気込んでいたんです。 そしたら、新卒者向けの基礎知識テストがあって、 余裕だと思っていたのですが、なんと結果は、同期でダントツのビリ。 「実力主義」というのは、基礎をとばして何をしてもいいと勘違いしてたんですね。 そこからはもう必死でした。 半年、死に物狂いで基礎業務を覚えて、認めてもらい売場責任者になりました。
一人ひとりの属人力を極めて束にする。それがドン・キホーテの強み
F. O.:こんなにライバル意識が強い会社は珍しいと思います。 全店舗の社員たちが、互いに意識しながら切磋琢磨している。 それまでライバルだった店舗に、異動して配属になることもありました。 そのときは人間関係を一から構築して、私を認めてもらうことからスタートしました。 良い店を作りたいという気持ちは一緒なので、すぐに溶け込むことができました。
T. A.:かなり自由にやらせてもらっているなとは感じていますよ。 新宿東口店はクリスマスの繁忙期に、 通常時の2倍以上売ったことがありました。流行りの兆しのあった高額の時計を集めて販売したり、 増え始めていた海外顧客向けの品揃えを厚くしたりと、 考えがピタっとハマったときは爽快です。
F. O.:新宿東口店の売上は未だに破られてない伝説的な記録。 T. A.さんは、成功の秘訣を聞くと「勘」とおっしゃるのですが、そんなことないです。 お客さまの観察は欠かさないですし、仕事は緻密。今までの経験値から、瞬時に販売可能な最大個数や、 価格設定などの営業数値を弾き出してます。さらに一人ひとりのお客さまの好みも頭の中に入っていて、 お客さまに合わせた商品をスッと何気なく提案する。そのセンスはバツグンです。 やはり、T. A.さんは凄いですよ。
二人が描く、ドン・キホーテの未来をつくる人財※
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F. O.:私は今、人材育成やマネジメントをしているんですが、 T. A.さんのように現場をよく知っていて、顧客目線で意見が言え、 自ら現場を変えていける人は本当に貴重です。 T. A.さんみたいな人をいかにして、育成するかが私の課題です。
T. A.:マネジメントよりも、ずっと現場に興味をもって仕事をしていたい性分です。 経営層に対しては、誰よりもお客さまを理解し、お客さまの声を代弁していきたい。現場では背中で語る人になりたいと思っています。
F. O.:元部下だった人間が、 私の元を離れて九州のエリアマーチャンダイザーになり、福岡の旗艦店を立ち上げました。これまでのドンキのイメージとは違い、 売り場にシャンデリアがある高級ブティックのような売り場をつくったんです。
T. A.:あれは新しかった。結局、九州から始まって全国に波及していきましたね。
F. O.:ドンキのイメージを良い意味で裏切っていた。 お客さま層が広がるような提案で、社内でも取り上げられていました。 視察時、「九州で好きにやらしてもらっていますよ」という言葉をかけられ、なんだか挑戦的な言葉に聞こえて、部下の才能が開花した喜びと、絶対に負けられないという闘争心が湧きました 。
T. A.:私も48歳になりましたが、仕事では誰にも負けたくないですし、負ける気もありません。私を脅かす若手が出てきたら、ドンキは今より強くなっていると思いますよ。
F. O.:ドンキは「売る」ということに関しては強い力を持った社員が 多くいる企業だと思います。 ただ、もう一歩進んで、それをどう組織の力に反映するか。 個人の力に、組織の力が加われば、もっと強い会社になれると思います。
T. A.:私は、一生現場で勝負していきたいです。 北海道には、「T. A. のような人間がほしい」と北海道の支社長に言われて、 異動が決まりました。これからもそういう存在であり続けたいです。 あとは、「やってやる!」という気持ちを忘れず貪欲に仕事に取り組むこと。 ハングリーでいる秘訣?それは、ロックを聴くことです(笑) 。
Career Profile
- F. O.
- 2002年
「実力主義」「権限委譲」の言葉に惹かれドン・キホーテに入社。
もともと衣料品部門希望だったが、配属は時計・ブランド品部門に。 - 2003年
東名横浜インター店へ異動。
とにかくがむしゃらに仕事に没頭し結果を上げる。
その甲斐あって、1年後には売場責任者に昇格。 - 2004年
昇格後は責任者として、現場を意識した人材育成に取り組む。
また、経営面では、「前任のウィークポイントを改善する」という勝ちパターンを確立し、売上に大きく貢献。 - 2006年
エリアマーチャンダイザーとして神奈川の店舗を担当。
どんなに昇格しようと、時間があれば現場に立つことがポリシー。
2008年には九州エリアのエリアマーチャンダイザーに昇格。 - 2010年
ドン・キホーテでも一番規模の大きい東京エリアへ異動。
このエリアは、ドン・キホーテの顔とも言えるエリア。
会社を背負うつもりで、自身の研鑽に取り組んでいる。 - 2015年
エリアマーチャンダイザーとして商品の仕入れ・売上の管理を行いながら、SPC室にて都市型店舗(新店・既存店)の立ち上げ、改装協力を担当。 - 2016年
MDサポート部責任者も兼任となり、エリア全体のマーチャンダイジング、販促等の提案も行う。 - 2018年
MDサポート部兼、運営サポート部の責任者として営業本部全体のマーチャンダイジング、販促等の提案も行う。
Career Profile
- T. A.
- 1996年
バンド活動の行き詰まりから、近所のドン・キホーテにメイト※として入社。
当時ブレイク寸前だったシルバージュエリーを店舗で取り扱い、売上を上げる。 - 1999年
社員になると同時に、売場責任者に任命。
富裕層の顧客開拓や、先見のある商品を仕掛けるなど、属人力を発揮。 - 2003年
新宿東口店へ異動。
2006年には、通常時の2倍以上の大幅売上増を達成。 - 2006年
六本木店など富裕層を顧客とする店舗を兼任するなど、新たな顧客層、売り場づくりにも積極的に関わる。
2010年には自身初となる中目黒本店での新店立ち上げにも参加。
- 2011年
支社長の「T. A.のような人間が欲しい」の一言で、大幅な店舗改装を控えて、更なる売上の向上を掲げる北海道支社 札幌店へ異動。
地域特性や顧客動向を研究し、昨年実績を越える売上を達成。
- 2013年3月
東京エリア 六本木店 時計・ブランド品部門 売場責任者
実績を残し、「後進の育成をして欲しい」ということで、旗艦店舗のひしめく東京エリアへ戻る。
北海道エリア 支社長にも労いと激励のお言葉をいただく。
また東京に戻った際は、支社長が「おかえり」とお言葉をかけてくれた。 - 2015年11月
東京エリアMDサポート部トレンド編集課に配属となる。
エリア内でセレクトショップの立ち上げを行う。
衣類に特化したMD、販促の提案を行う。 - 2016年
新宿歌舞伎町店にて激戦区のトレンドセレクト売場責任者として最前線で活躍する。 - 2018年
MAGAドン・キホーテUNY豊田元町店のトレンドセレクト売場責任者として業態転換店舗での立ち上げメンバーとして販促提案を行う。
※当社でいう「人財」とは、人は財産という考え方から「人財」という言葉を利用しています。
※当社はアルバイト従業員のことを、Mate=仲間という意味で「メイト」と呼んでいます。
※職位・職責・配属は取材当時の情報になります。
※表記している役職名に関しては昇降格時点のものを使用しております。